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「ありがとうと言って見送ろう」

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天の戸醸造元 浅舞酒造取締役社長 柿﨑秀衛さんが享年56歳という若さで旅立たれました。あまりにも早い人生の閉じ方に、言葉がありません。蔵から半径5kmの米と水だけ。そして全量純米酒となり、まさにこれからでした。

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2012年2月

2012年12月13日、facebookにメッセージをいただいたのが最後のやり取りとなりました。

Hidemori Kakizaki 毎度、お世話なっております。あんべいいなイベントよろしくお願いします。(^-^)

●大阪でDeep秋田発酵イベント

そんな重大な事態であったとは、その時露にも思いませんでした。

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森谷杜氏の弔辞を、ごんべーさんが書かれた夏田冬蔵ブログからご紹介させていただきます。

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弔辞

秀衛社長が亡くなった翌日も同じように酒を仕込みました。釜場から湯気が上がり、米を洗い、蒸米を担ぎ、酒を搾りました。

「我々は酒を造るために呼ばれているんだから粛々と仕事を進めましょう」と蔵人同士で確認したことですが、大変なことが起きたのにもかかわらずいつもと変わらぬ風景の中で仕込みをしていることが返って悲しく思えました。

「あ あしてあげればよかった」「こんな言葉をかけてあげればよかった」が日増しに、「あんなことをしなければよかった」「あんなことを言わなければよかった」 に変わっていきます。悔やむことが多すぎます。でも、家族を残していくあなたの無念さに比べると物の数にならないでしょう。

ここに集まってくださった方たちは、もう一度会いたかった。もう一度話をしたかった。もう一度一杯やりたかったと思う人ばかり。ありがたいことです。こんなにたくさんの皆さんがお見送りに来てくれましたよ。

若いころから社長のトレードマークは「前掛け」でした。最近でも気合いの入った仕事をするときには決まって締めていましたね。

昭和五十六年夏、その前掛けをした中学の同級生が車を降りて話しかけてきました。

「この冬から蔵に来ないか?」

これが秀衛社長と私の第二幕の始まりです。

酒の配達について行ったことがあります。

「俺、 けっこう酒屋の奥さんたちに人気あるんだ」と自慢げに言います。確かにそういうとおり、「秀衛さん、お茶っこ飲んでいげ、秀衛さん」と奥さんたち。そして 何より驚いたのは年上のとうさんたちや同業の先輩たちからから「マロ、元気だか?」「マロ、今度一杯やるべ」と親しく声を掛けられることです。お公家さ まっぽい風貌からか業界では「麻呂」と呼ばれてかわいがってもらっていることもそのとき知りました。

社長は日中配達。私は日中酒つくり。二人とも帳簿付けは夜になります。夜の十時を回ったころどちらともなく、「さっとやっていくか?」とピープル

さんが今のよねやさんの駐車場にあったころよく行きました。カウンターに座って同じ方向を見て話しこみました。社長が言います。

「秋田一の飲み屋街、川反に行ってきた。あういうところに天の戸あればなあ」さほど酒の強くない社長はもう赤ら顔です。

「秋田か・・・・・。花の東京もいいな、大阪も」お酒がまわってどんどん気持ちも夢も大きくなって、「日本を飛び出して世界だよ。世界!」「んだ。グローバルだ」二人で叫んでいたね。

横手でさえ天の戸をおいている店もほとんどないのに。

そして或る夜、いつものカウンターで、

「な あ森谷。何ぼ小さい蔵でもプライドってものがあると思う。そのシンボルが「大吟醸」だと思うんだ。もう一遍、大吟醸の仕込みを始めたいと思う」いつにもま して真剣な表情の社長。ただ、私の返した言葉は、こともあろうに「ところで、ダイギンジョウ?そのダイギンジョウって何もの?」でした。

そんな私を、あなたは秋田の鑑評会にきき酒の勉強に連れて行ってくれました。ここで私としてはもちろん天の戸の蔵としての酒つくりの基本理念みたいなものが決定づけられたと思います。あなたの言葉はこうでした。

「誠心誠意、心を込めて作った酒にまずいものはない。欠点なんかないよ。あるとするとそれは個性。その酒のいいところを見つけないといけない」

この言葉が強く心に刻まれました。

さて「大吟醸」、いざ作り始めるとまったくうまくいきません。素人には大変なことばかりです。行き詰ると、私はそのやりきれなさをあなたにぶつけました。

吠える、噛みつく私、さしずめあなたは猛獣使い。決まっていう言葉は、「ま、ま、ま、そう言わないで。さっと一杯やっていくか?」でした。

あれから三十年。あっという間。

昨年の四月から何度となく治療入院を繰り返すたび、病室に顔を出すとあなたは「いつも難儀かけています」と蔵で言うように律儀にそう言って私を迎え入れました。

「田んぼが青くなってきた」「こっちから見る鳥海山が一番きれいだな」「今日の夕日は最高だね」「稲刈り、そろそろ始まるな」

二人、大きな窓に向かって同じ方向を見て話していた。これといって特別な話はしなかったね。

痛みもあったろう、無念さもあったろうに、微塵も見せず最後まで自然体の普段通り。大したもんだよ、社長。あなたの真似なんか誰もできない。

社長、聞こえますか?

秋田の川反での乾杯の声。東京で大阪で天の戸をおいしく飲んでくれている人たちがいます。アメリカでも、シンガポールでも、あなたの歩いてきた道に花が咲き始めています。

十二日の火葬に来てくれた鹿児島の大海酒造の山下社長が、「杜氏、お願いしたいことがある」と言っていきました。

それは「ありがとうと言って見送ろう」ということでした。

ありがとう。

秀衛社長、ありがとう。

天の戸の蔵人にしてくれたことに感謝します。

あなたと同時代を生きることができたことを誇りに思います。

ありがとうございました。

浅舞酒造株式会社  杜氏 森谷康市

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森谷杜氏が書かれた「行雲流水」のお酒を天洋酒店さんから取り寄せました。

「空を漂いゆく雲、とどまることなく流れる水。

物事に執着せず、自然体をとおした秀衛社長を偲ぶ言葉に選びました。」


Topics: 日本酒 | No Comments »

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